2011年1月21日金曜日

いろいろ進んでいるみたいです。その他・散文(おおはし)

 
こんばんは、おおはしです。
今日は知らぬ間に山城さんが墨東に来ていて、なにやらしていたそうです。
会えませんでしたが、ちょっとずつ進んでいるみたいです。

100日中の、21日目が終わろうとしています。

おおはしは、山城さんがこのまちをどう読み込むのか、敢えて読み込まないのか、
どんな部分を採用するのか、或いはなにも採用しないのか、とても興味深くおもっております。


これは個人的な思考のことですが、
去年の暮れ、駅前にイトーヨーカドーがオープンして
スカイツリーの第2展望台が姿を現したあたりから、
いろいろなことを想像できなくなっています、いろいろな、未来のことを。

来年の今頃もたぶん今の家に住んでいて、
今の仕事を続けて、今とさほど変わらない日常を過ごしているだろう、という程度の想像も
うまくできなくなっています。

スカイツリーが開業する頃、ここはどんな場所になっているのか、わたしはどうしているのか、
全く想像できないのです。


このあいだイトーヨーカドーで、
プライベートブランドの食品ばかりを買って帰る途中の駅前にて、
2009年3月、わたしが初めてボランティア行為をした
向島おしょくじプロジェクトの時間がよみがえり、

まるでうそみたいにキラキラしたそれが、
ほんとうにこのまちで起きた出来事だったのか、わからなくなりました。
(実際、そのころこのまちにあった景色が、どんどんなくなっています)

それを言ったら墨東まち見世2009も、
あのときのわたしたちにとってなんだったのか、

アートプロジェクトってなんなのか、
なんのためにあるのか、

このまちで起きたそれらがなかったら、わたしは今と違う生き方をしていたとおもう、
でもそれは、このまちそのものにはあまり関係のないことのようにおもう、

そういった全てが、10年後にはあとかたもなくなっているんじゃないか、
だとしても別に、特になにも変わらない、誰にとっても、とか

そんなことを考えてぼんやりしていたら、夜の駅前の眩しさが、一層、目に痛みました。


なにかとてつもなく大きなうねりのようなものが上空でまちを支配していて、
わたしたちとは関係ないようでいて、とても関係があるような予感。

今この時代はどういう時代なのかわからず、
山城さんという存在、墨東まち見世という動きから、
わたしはそれを必死に探ろうとしている気がします。


わたしがこういうことを書くのは事務局の人間として適切ではないかも知れませんが、
いち地元住民、山城さんと近い世代の人間・山城さんの作品に関わる人間として
こんなことをおもっているということをここに記します。


おおはし

 

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